ベトナム戦争から50年。ハノイに暮らして思ったこと。
2025年05月25日 更新▲「マダムの前世はベトナム人さん」のブログから、2025.04.30の記事をお送りします。物事、状況、感情、そして歴史、全てのものに光と影があり、対極にあるものが合わさって「今」があることを教えてくれる記事となっています。訪れる場所の陰陽、どちらの側面も知ることで、旅は自分を成長させてくれます。マダムの思いを共有いたします。
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今日は4月30日。
ちょうど50年前のこの日、ベトナム戦争が終わりました。
写真上:ベトナム軍事歴史博物館で撮影しました。
私は歴史に詳しいわけではないけれど、
終結から50年という節目に、戦争のことをちゃんと知ってみたいと思いました。
そこで自分なりに少しだけ調べてみました。
アメリカが撤退したのに、なぜ戦争は2年も続いたの?
実はアメリカ軍がベトナムから撤退したのは1973年。
「パリ協定」という約束でアメリカは戦争から手を引きました。
「じゃあそのときに戦争が終わったんじゃないの?」と思ったけれど、
実際に戦争が終わったのは、それから2年以上もあと。
理由は「ベトナム人同士の戦い」が残っていたから。
アメリカが支援していた南ベトナム政府と、
社会主義の北ベトナム(現在のハノイ側)が、
アメリカ抜きで戦い続けていました。
ベトナム戦争、最後の日
1954年、ベトナムは南北に分断されました。
その後、対立が深まり、ベトナム戦争が勃発。
1965年にはアメリカ軍による北爆(北ベトナムへの空爆)が始まりました。
そして1975年4月30日、北ベトナムが南に大きな攻撃をしかけ、首都サイゴン(現在のホーチミン市)は北ベトナムに引き継がれました。
今、平和に暮らすということ
私が生まれたのは1973年。まだベトナム戦争のさなかでした。
戦争が終結したのは1975年、私が2歳のときということになります。
今では戦争の面影はほとんどなく、観光地としても人気のベトナム。
でも、つい最近まで戦争をしていた国なんだと思うと、歴史に詳しくない私でも少しずつ知ることで、ハノイの街が違った角度から見えてきます。
私と同じ1973年に
ベトナムで生まれた赤ちゃんの中には、
戦争の犠牲になり、
この変化を遂げたハノイの街で
生きることができなかった子もいる…。
そう考えると、胸がぎゅっとなります。
写真上は「カムティエンの母子像」1972年12月26日、ハノイ市内のカムティエンが攻撃を受けたときに命を守ろうとした母と子。
今もこの場所で、犠牲者を悼み、その時の記憶を伝えてくれています。
場所:46 Kham Thien, Ha Noi
私は、かなり高い確率で平和な日本に生まれ、
不自由なく育ててもらい、
そして大人になってからは、
優しいベトナムの人たちに助けられながら、
今こうして、ハノイでも暮らしていけることに感謝しています。
ベトナムの歴史を知る観光スポット
もしハノイを訪れる機会があれば、ベトナム軍事歴史博物館やホアロー刑務所を見学するのもおすすめです。
写真上:ベトナム軍事歴史博物館
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